学校法人日本医科大学
日本医科大学 脳神経外科学教室 Nippon Medical School Department of Neurological Surgery
前部長のつぶやき

マイクロ手術の際の距離感

脳神経外科でマイクロ手術をしていると距離感を非常に不思議に思う。

たった1.5cmの聴神経腫瘍でも聴覚を残すことを最大目標とすると、蝸牛神経に癒着している腫瘍を2mmくらいの先端の細いL字のHookやハサミで剥がして行くわけだが、神経にはとことん力が加わらないように微妙な力を腫瘍に加えて剥がしてゆく。この10mmくらいの剥離距離をとてつもなく長い距離に感じる。ABRが低下すれば10~15分休む。時に再開と同時くらいにまた休まないといけないこともある。最大2時間くらい待ったこともある。私15分あれば、1~2kmは歩けるんですが、この1mmの操作がとても大事ということがよくある。時間と距離の感覚も、マイクロ下と現実ではかなり異なる訳である。

先日苦労した頸静脈隆起からでた4cmサイズの髄膜腫では、腫瘍の背面をびっしりと下位脳神経がおおってしまっており、唯一侵入できるルートは腫瘍の最下端の一角のみ。ついでにそこにはべったりと癒着したPICAが埋まり込んでおり、なかなか剥がれない。脳幹の方向に細い枝が伸びていただが、危険と知りつつ凝固切断しないとその血管は剥がすことができない。下から腫瘍の中にトンネルを掘りながら“かまくら”の中の空洞を作るように腫瘍の摘出を進めるわけだが、この距離感がとても長い。たった1cm足らずの距離が本当に10km先の駅まで歩いて行くくらいの感覚で果てしなく感じる。どんなに掘っても掘ってもなかなか壁が降りてこないし、腫瘍が動いてくれない。しかし、ある境界を超えるとにわかに腫瘍はいうことを聞くようになる。その時までじっくり同じことを、左右上下色々試みながら短気を起こさず地道な操作を繰り返す必要がある。

顕微鏡の元で操作をしていると、自分が数mmの人間になって、自分の20倍もある大きな塊にチャレンジしているような錯覚に陥る。本当なら腫瘍は指の先くらいのサイズのものなのに。

大切な機能を守るために、何しろ必要なのは、この距離・時間感覚を克服する忍耐力と思う。

医療や科学の現場では、そのようなミクロの社会と現実とを行ったり来たりしながら仕事を進めて行かねばならない。一方で宇宙を研究している人たちは逆の意味で壮大な距離感と実世界の距離感のバランスを取るのが大変なのだろう。以前映画のMen in Blackに宝石のサイズの中に全宇宙が入っている話があったが、フィクションではあるが、その時私が感じた違和感と驚きも、多分脳の手術の中での我々が感じている距離感も知らない・慣れない人からすれば同様な違和感なのかもしれない。

一方で、時には、その距離感を即時に現実に戻す必要がある時もある。その最たることは、脳動脈瘤が術中に破裂した時である。まるで洪水か噴火のような大量の出血が襲ってきている様に見える。マイクロを始めた最初の頃は、その没頭感から、その世界の中だけでなんとかしようとしてしまう。でも実はせいぜい数mmの穴から出ている出血なので、肉眼で見ると大したことはない(こともない時もあるが)。慌てず、騒がす、ゆっくりとしっかりと出血点さえ見極めればなんということもない(ことが多い)。以前前交通動脈瘤の処置中に、マイクロを入れた途端、まだ動脈瘤も見えていないのに脳がブワーーと腫れてきてしまった。当然術中破裂のわけだが、これを慌ててマイクロ下で大騒ぎしている時に入らせてもらった。することはざっくりと右の前頭葉を差し支えない範囲でlobectomyをしてしまう。そうすると出血している前交通動脈の出血たるや、まった浅側頭動脈を切ってしまった時ほどもない。“しょ、しょっ”て感じの弱い出血である。確認後マイクロに切り替えて動脈瘤を剥離してクリップをすれば事足りる。これをノロノロとシルビウス裂を細々分けて行こうとすると、両側の脳のダメージを受けてしまい患者さんは回復できないことになってしまう。

うまく微小手術の世界と実世界の距離感を行き来できること、マイクロでの2cmと実世界での2cmをよく体に覚え込ませることが重要なのかと思う。

若い脳外科医の先生たちには、マイクロに没頭して非常に繊細な手技を行う傍ら、自分の実の世界の距離感を達観する気持ちの余裕と技をしっかりつけて欲しいと思う。

といった今日はちょっと専門的な話でした。

この4月で多くの先生が移動され、また教室をさられる先生方もいらっしゃいました。

北総病院部長の水成隆之先生、同じく北総病院准教授の小南修史先生、千駄木地域連携寄附講座教授の山口文雄先生、下垂体手術フェローで千駄木で2年間いてくれた鈴木幸二先生達です。個別にお話しするととても紙面が足りませんが、本当に皆様お疲れ様でした。長い間日本医科大学脳神経外科教室の発展にご尽力いただきありがとうございました。

今後当面の間、教室の戦力ダウンは否めませんが、伸び盛りの若手の先生方が、次代の日本医大を作って行ってくれることを信じています。

今年は本駒込、根津、千駄木、池之端あたりはとても桜が綺麗です。

早くコロナがおさまって、楽しい春の花と新緑の季節を楽しみたいですね。

写真は千駄木界隈の桜あれこれです

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