2021. 03. 01
箱庭かBeyond the scopeか?
先日ガンプロという「癌研究の専門家」を大学院で増やそうという目的の組織の筑波大学班(日本医大はそのグループに属している)の会議があった。その中のdiscussionで大学院教育のあり方について議論があって、この班の取りまとめをしている筑波大学消化器外科の小田先生から「文部科学省から、非常にspecificな専門の医師の育成に向けたプログラムを構築して欲しい」と言った要望があることが示された。さもなければ来季からの予算はないぞ、、と言った感じの脅しのような言い方だったそうである。そもそも大学院というのは、癌研究の専門家を育成するためだけのものではなく、広く様々な角度からの研究者を育成すべきものであり、その中で、癌研究も進められる人が出てくれば良いのであって、教育の範囲を絞り込むのはいかがなものか?また医学教育でも最近はコンピテンシーとして、学習の目指すところをとても狭いストライクゾーンに決めて、それを学ぶというような方式をとっていることに違和感があることが共有されました。例えば、この講義は、「人とのコミュニュケーション能力を高め」て、「神経診察力を向上する」ことの役立つ講義です。なんてことをシラバスに記載するようになっているのです。癌の研究だって本来遺伝子の研究手法だけ学んで裾野が広がるわけではなく、実際には患者さんのメンタルの研究だって重要だし、工学的な知識や、人工衛星で薬剤を作っているように宇宙学も、また宗教だって重要かもしれない。幅広く、大雑把に、丼勘定で、いろいろな夢?を見つつ研究や学習の範囲を考えていた、我々の古い?考えから、近年お役所的には、よりfocusして、効率的で、AといえばBという答えが出てこないと、「??」となってしまうような既定路線の教育や研究線が推奨されているということなのです。研究費の申請もそういう風潮が強くて、AMEDの大型予算にしても、学術振興会の科学研究費にしても、もうすでに論文が出来上がってしまっているような「結論」ありきのシナリオの研究で、費用使途の時期や予定やがキッチリと決まっているような申請しか通りにくくなっているのも事実です。確かにそうでない研究では研究費の無駄も多いでしょうし、教育も狭いfucusの効率的な方針をたてていないと、落ちこぼれる学生も出てきやすい、平均的医師を育てるには、その方が手取り早いのでしょう。要は、官僚的には短期間で成果が出やすいわけです。
ではそれで長期的に見て日本の研究や医療はどうなって行くのでしょうか?明らかに、夢のある研究は減って来ていますし、驚くような発想の開発なんて最近聞いたことがありません。また医師は専門領域が先鋭化して、広くなんでも診れる赤髭やコトー先生のような医師はなかなか生まれてこない。脳外科の当直で外傷患者が来ても「私は○○が専門なので、、」などと言って断る人さえ出てくる。もっとひどいのは、診療科と診療科の狭間でどちらにも専門ではないので、お互いに患者さんを押しつけあって、最終的には最初に電話で受けた科が持つ、、、ということに陥ったり、「なんでも取りなさい」と言っている部長の診療科が受けて、大変な重荷を背負うことになる。悪ければここでは診れません と言って救急隊に戻る。などいうことすら出てくる。その隙間を埋めるために総合診療という専門科?を設けてはいるが、もともとは研修必修化は、そのような専門化の弊害をなくすために作ったのではなかったか?という疑問が湧いてくる。総合診療には大変お世話になっているので、何も反対するわけではないですが、なかなか専門領域としての確立は学位も取りにくいし、難しいのではないかと考えてしまいます。でも考えてみれば、Cushing先生が電気メスで腫瘍の止血を始めたのはつい100年ほど前のことです。近代の医療(特に脳神経外科)なんてとても短い歴史に基づいていて、とても能や歌舞伎、書道などと比べようがないわけで、後20~30年もすれば、全く異なる脳神経外科、、(という科が存続していれば)となっている可能性もあるわけです。私が2年目に広島の病院にいた時に、井戸に落ちた子供を助ける現場に駆けつけたことがあります。横から穴を掘るとか、いろいろな考えを出し合って救急隊の人たちとなんとか子供さんを助けあげることができたことを覚えています。脳外科にも土木の知識が必要なのです。。?砂場で山やトンネルを作っていた経験が生きます。
ひと昔まえ(2012年だったか)ドクターズマガジンという雑誌の取材を受けて、一丁前に自分の目指すところを語ったことがあるのですが、箱庭のような人生よりも自分の目で見えない先(Beyond the scope)を目指すような人生を送りたい、、というような雰囲気のことを言ったように思います。それは診療でも、研究でも生き方でも。(周りは良い迷惑かもしれませんね。)私は「専門は何?」と聞かれたら、即座に「脳神経外科」と答えたいと思っています。それでも患者さんにとってはとても狭い領域で、外来でも入院でも、この足の爪の変なのはどうなんでしょうか?と聞いてこられる患者さんもいらっしゃる(本当は皮膚科とか形成外科に聞いて欲しいのですが、、)。患者さんにとって医者は医者なのですから。普通の脳外科医に専門領域はと聞くと、「脳血管障害」が専門です。とか「脊髄・末梢神経」が専門です。とか答えることが多いのでしょう。でも脳神経外科医である以上、まずは脳神経外科医療をまずは専門領域としてマスターする。その上で、専門領域も広い目を持って自分のものにしていって欲しいと思います。脳腫瘍の専門家を目指しているのに、機能外科に興味を持つのは?とか血管内の専門医をとるのは?とか、、変と思われるかもしれませんが、それもゆくゆくは極めて役に立つことになるのではないかと思います。腫瘍だっててんかんのような機能性の疾患でも、血管内から治療する時代が来るかもしれませんし、腫瘍とって後に、機能再建のための幹細胞治療をする時代が来るかもしれません。そのような新しい医療を作って行く上でも、あんまり自分の枠や考える中だけで学び生きる範囲を決めずに、半ば強制的に自分がいろいろなことをしないといけない環境に置くのも重要かなと思います。自分の話は、以前お話ししたかもしれませんが、Mayo Clinicで卒後10年目で外科系インターン(下働き)をすることになったのですが、当時は本当に辛かったのですが、、でも今思うと、その時の形成外科や血管外科での研修は今の自分の土壇場での力の源になっていると思うのです。どんな状況に陥っても、あの時代の苦労があるので、気持ちが動転することもありませんし、いろいろな技術的ギミックも習得しています。何せ、今は違うのかもしれませんが、当時の腹部大動脈瘤破裂の手術現場の激しいことったら、、輸血100本なんてこと、、週1位ありました。
新しい医療の構築には、自分の予想もしない領域の知識が役立つこともあると思うのです。今の時代 広く浅くでは、やはり役には立たないと思いますが、「広く深く」はぜひ実践して欲しいと思います。そして研究では、夢を持って、、あらゆることに挑戦する。。。と言っても倫理委員会でがんじがらめになったこの世界ではなかなか自由研究は難しいのですが、発想だけは自由に。ただし一方で、先ほど触れたように、四角四面の整った申請でないと研究費獲得はできませんので、一方では、しっかりと、四角四面の形を見せて、反対側では、広い視野を持って、大雑把に、夢を持って生きる力を持って欲しいと思います。
箱庭的な生き方とBeyond the scopeな生き方。それぞれ長所と欠点がありますが、それぞれを生かしてうまくバランスをとって行くのが良いのかと思います。でも基本我々は日本人。島国で培われた遺伝子は、自ずと箱庭的な生き方に適しているのかと思います。できるだけ海外やvirtualでも国外に出て視野を広げて、広い視野を持つ訓練をしてください。
旅行や景色、料理も同じで、それぞれに良いところがあります。行き当たりばったりの旅行も良いし、きちっと計画立てられた旅行もよい。きちっと決まり切ったやり方に従えば美味しいお寿司を簡単に握れるようになりますし、一方で味が予想もできない煮込み料理も奥が深い。。です。
景色の無限と有限
料理の無限と有限