学校法人日本医科大学
日本医科大学 脳神経外科学教室 Nippon Medical School Department of Neurological Surgery
前部長のつぶやき

手術教育について想うこと

先日昨年9月に亡くなった堤一生先生のメモリアル「堤一生先生に感謝する会」が開かれた。その際に配られた堤先生及び発起人の塩川、谷口両先生の手術論の合冊された記念誌は教室に2冊おいてあるのでぜひ一読して欲しい。

その中に堤先生が2007年に「脳卒中の外科」に投稿した「私の手術教育」という手記が含まれている。彼の東京大学関連施設での教育への想いの一部を伺うことのできる文書である。(脳卒中の外科35:360-363,2007)

堤先生は私の2年後輩にあたるが、残念ながら一緒の施設で働く機会はなかったが、彼が1年いた富士脳研に1年後に行ったり、彼が都立府中病院にいる時は隣の都立神経病院で勤務していたので、彼の言動や新年はよく見聞きしていた。例えば、前頭蓋底の腫瘍を富士脳研で佐野圭司先生が手術をして髄液漏になったのを不思議がっていたら、前頭蓋底の眼窩の上まで前頭洞が伸びているタイプで、その写真を佐野先生の目の前に掲げて、「ここから漏れるに決まっているでしょ!」なんて言ったというエピソードを聞いている。ご存知の方も多いと想うが佐野先生と言えば東大の脳外科名誉教授で脳神経外科の神様みたいな人である。そのような先生の誤りを堂々と指摘するという(多分彼はまだ医師になって3年目くらいだったと思う)根性の持ち主である。学会でも彼の発言は非常に際立っていた。特に脳動脈瘤のコイル治療とチタンクリップを用いたクリッピングには最後まで抵抗し、あるべき姿はキチッとした閉鎖力を持ったクリップで血管形成をするのが筋という考えを曲げなかった。患者に対する態度には厳しく、いい加減な対応をしたら、かなりの間シカトされるらしい。

彼が若くして部長を務めた会津中央病院では1年目や2年目の研修医が2年間近く回されることが多かったが、着任早々言われることは「これから2年間君が行けるのは、あそこ(100m先くらい)に見えるコンビニまでだから。」と言われたそうである。今の働き方改革が強く求められる世の中では受け入れるのが到底(その当時でも)困難と思われる労働条件であるが、当たり前のように課していた。その理由は、先にあげた文書にも記載されているが、手術がビデオとかだけではなく必ずどんな手術でも現場で、術者が何を考え、何を判断して行っているかを経験・共有しなければ判断力がつかないという考えに基づいている。特に会津では、緊急手術が手術の半数以上を占めていたから、どんな緊急手術でも我先に若手は集まり全員集合、こなければ手術経験はつめないという環境だったのである。その中で成長した者たちには、原(虎の門)、大宅(埼玉川越)、井上(NTT)、木村(日赤)など、学会でも注目されている現在の手術猛者たちがいる。

昨今、色々な情報がインターネットを介して簡単に入手できる。自宅にいても、手術もYou Tube画像が出回っていて、ビデオを見れば様々な手術の小手先を学ぶことができるかもしれない。でもそのような情報はある程度はやくにたつとしても、本当に背筋が冷たくなるような状況に臨した時に全く役には立たないと思う。以前のブログ(バーチャルとデジタル, 受動的知識と能動的知識)でも書いたが、実際に自分で手や身にもって確認・経験したものは、その獲得に要した時間と労力分自分のものになる。能率的な学習も重要だか、その能率分の力にしかならないことを知っておくべきであろう。

日本医大の手術はどのような手術が4病院で行われているかを共有しているが、計画手術なので、ぜひ時間を作って色々な手術を経験して欲しいと思う。

堤先生の先の文書に参考になる到達目標が記載されていたので、引用する。

『研修目標: 1)脳ヘルニアの回避が1 人でもできる.2)顕微鏡下のシルビウス裂の開放,血腫除去ができる.この際,吸引管の圧の微調整(ON-OFF 以外)と適切な術野の確保ができる.3)頸部頸動脈の確保が躊躇なくでき,頸動脈内膜離術(以下CEA)を安全に行える.4)浅側頭動脈―中大脳動脈吻合術(以下STA-MCA)において確実な吻合ができる.目標遮断時間は20 分以内.5)前方循環の通常の動脈瘤(中大脳動脈瘤,内頸動脈―後交通動脈瘤,前大脳動脈瘤など)がクリッピングできる.これらがそつなくできれば,前交通動脈瘤にも挑戦させる.以上のような目標に向かって約2 年間の教育期間で,可能な限り手術を術者として経験させるとともに,(卓上型)顕微鏡を用いた血管吻合の練習や左手の巧緻性向上を奨励(強要?)した.また手術記録を術前に記載させ理解度を確かめたのち,同様の手術ビデオをみるように指導した.手術の仮想練習を頭の中で必ず行うことを習慣づけたうえで,実際の手術は指導医の監視のもと可能な限り術者に遂行させた.

結果:主観的な評価ではあるが,手術成績ならびに手術手技の上達に最も関与するのは積極的な情報収集力と手術に対する真摯な態度と思い入れであった.初心者の観る,読む,聞き取る力は大きくないため,豊富な手術ビデオ,手術書のある時代でも生の声を聴き,生の手術を観ることは重要と思われた.また指示に従うだけではなく,積極的に質問し確認を積み重ねていくことが判断力の成長につながると思われた。

考察:現代確立されている脳外科手術は,本当に達人でなければ行えないほどのものであろうか.少なくとも私にはそう思えない.なぜなら大半の手術法は確立されており,基本的な手術手技の組み合わせで完遂可能であるからである.血管吻合のように特殊な訓練が必要なものもあるが,それすらもある程度の訓練で習得可能である.達人しかできない芸当というものは,ほとんどの手術には必要とされないのである.つまり安全,確実な手術というものは,大半が的確な状況判断に基づいており,指導者による「手取り足取りの指導」がなされていれば初心者でも可能である.もちろん手術中に指示することが理解できない状態に陥ったり,技術的に無理な局面と判断された場面は,指導医が交代し目の前で「やってみせる」ことも必要である.

また失敗に関しても貴重なコメントをしている。

初期教育で最も難しいのが判断力の養成である.手技がいかに上達しようとも的確な判断なしには手術は成り立たない.通常の判断は積み重ねた成功例に倣うことでそれなりに養われるが,真の危険度を判断するためには多くの失敗例を学ぶ必要がある.しかし,初心者の段階での失敗は精神的なダメージが大きく社会的な非難を浴びることからも避けなければならない。失敗例に関しては,指導医が自らの失敗のみならず先人の失敗を何度もくり返し説いていくことが重要である.実際に失敗をさせず,間接体験だけで失敗を学ばせるのは難しい.しかし今後の脳神経外科手術は結果責任をさらに厳しく追及されるはずである.間接体験からできるだけ多くを学べる者しか優秀な術者として生き残ってはいけないであろう』

先日亡くなった野村克也さんがよく引用した名言もある:「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし(松浦清)」成功体験は気持ちをよくするが、その中にも失敗に繋がるようなざまざまな課題がある。また失敗例は失敗する当然の理由・原因があるということである。間接体験でもよく聴いて、先人と同じ過ちをしないことが本当に重要である。後進たちの手術が先人よりも手術成績がよく、失敗が少なく無ければ、臨床医学の積み重ねの意味がなくなってしまう。どうにかして、先人の手術の失敗を繰り返さないことを肝に学んで欲しい。

なかなか私自身の手術は、一例一例特殊な症例が多くて決まったルーチンがないので、あまり人任せにできていないのが残念だが、なんとかこのような教育体制をそろそろ整えないといけないと思う。

先ほど述べたように堤先生と私は職場を一緒にしたことはなかったが、何度も会食は一緒にした。一番の思い出は、長崎の居酒屋に行った時に、私がいちいち出されたものにコメントをするため店長に追い出されてしまったことである。その時は堤先生と塩川先生に呆れらながら、しみじみ慰められた。きっとそのような包容力で若手を教育していたのだと思う。

さて、先の手記に引用されていた元京都大学・国立循環器病研究センターの菊池晴彦先生の手記2篇も初めて読ませていただいた(Neurosurgeons 14:9~18, 1995, 脳神経外科速報8:181~185,1998)。驚いたことに、今医学教育ではなんのこっちゃと思いながらよく教育カリキュラムの構築に使われているGIO (General Instructive Objectives)とSBO (Specific Behavioral Objectives) という言葉が1995年の手記に記載されている。この意味わかりますか?

教育の一般目標(何ができるように教育するか?)と行動目標(何ができる という成果目標)のことである。誰もが、そのような目標を持って、日々の訓練・教育を行い、受けて欲しいというものである。

菊池先生の手術教育観の根底に流れるのは、堤先生のものと非常に似通っている。みとり稽古(先人の手術(現場・ビデオ)をじっくり見て学ぶ)、素振り(練習)の重要性は当然だが、それに加えて、自ら考え、様々なことを興味深く見聞きして学ばなければ、本当の力はつかないというものである。それに加えて、米国での研修システムを例に挙げて、脳神経外科・手術だけではなく、神経学、放射線、病理、分子生物学など脳神経科学に広く視野を広げないと、未来の脳神経外科を発展させる力はつかない。というものである。

自分を育てるものは、目の前の手術だけではなく、人の考えを真の意味でよく見聞きすること。そして自ら考えることである。周りのことに何でも興味を持って、頭を突っこみ、実体験で学ぶことである。

京都大学脳神経外科初代教授の荒木千里先生の言葉が引用されている:

「安易な気持ちで安易な手術をするとか、ありふれた手術をありふれたやり方ですることをしないように 常に新しく開拓的な気持ちで」

そして菊池先生の術者の出処進退についての考えは

「安易な気持ちで手術場に向かう日があれば、直ちにその手術を後進に譲るべきと考えます」とあります。

私はまだそのような境地になっていないので、しばらくは一線で手術を続けますが、その間にできるだけ多くの基本的手技をしっかりとみにつけ、「自ら考え、判断でき」、倣った手術だけを繰り返すのではなく新たなより良い安全な手術を開発できる良い術者・脳神経外科学者を育成して行きたいと思います。

さて3月には「脳神経外科の心・技・知」をメインテーマとした第29回脳神経外科手術を機器学会(第13回日本整容脳神経外科学会と合同開催)を上記のような手術教育論満載で開催予定でしたが、残念ながら、新型コロナウイルス肺炎の流行で、延期せざるをえなくなりました。9月に延期開催できるよう準備を進めていますので、手術教育についてよく話会える機会にしたいと思います。

ぜひ参加してください。

若手の人たち(若手は60歳以上も、気持ち次第で若手です)は、明日の手術をよくするように努力してください。努力する人には、私たちは惜しみなく学ぶ機会と助力を提供したいと思います。

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