学校法人日本医科大学
日本医科大学 脳神経外科学教室 Nippon Medical School Department of Neurological Surgery
前部長のつぶやき

エジプトにて

皆様 新年度になりますが、お変わりありませんでしょうか?ご家族が新入学や就職などという方もいらっしゃり何かと慌ただしい日々と思います。

さて私は4月1日より大学院の医学研究科長という職を任ぜられることになりました。日医に来てまだ間も無く他大学出身で大学のニュアンスを理解していない自分にどの程度のことができるかわかりませんが、外から見た常識や、これまでの自分の経験を生かして、なんとか大学をよりよくしていけるよう努力しようと思います。特に中心の役割は大学院教育の改善とその役割を日本医大の学生さんや医師、また外部の医科学者にも知っていただくことと思います。

脳神経外科のことは疎かにならぬように風通しをよく情報共有を徹底して行こうと思います。

さて3月末の27-29日にエジプトの脳神経外科コングレスがあり、招待があり参加してまいりました(いま帰りの機内です)。エジプトの脳神経外科医は100名にも満たないのですが、内視鏡のコースや海外から20名近い発表者をよんで、かなり質の高い議論をしていました。アフリカ(特にアラブ系)の先生の名前は呼びにくいのですが、Nassar El Ghandourという先生が会長でした。色々オーガナイズやPCのコネクトが悪かったりとアフリカ独自の特色はありましたが、全体に活気のある会議で、色々な質問もありました。

例えば私は術中出血したような例を挙げて、今後の経鼻の内視鏡手術で再発の髄膜腫や悪性腫瘍を積極的に摘出しようとすると内頸動脈を損傷する可能性があるので、必ず施設にはバイパスのできる先生がいることが必要だ!とお話したら、あらかじめバイパスをしておくことをしないのか?とか。

福島先生(もいらしていたのですが)が話されたsaphenous veinでのhigh flow bypassの話では、サイズミスマッチがあるので、自分はクリップとかでサイズを調整してバイバスとかしているが、そのような配慮はしなくて良いのか?などという質問をされていました。何かこれから色々頑張って追いつくぞという感じの意欲を感じる学会でした。

さてエジプトですが、皆さんの印象や知識はどうでしょうか?ナイル文明が花開いた国。クレオパトラ(七世)がシーザーに恋した国。ルクソール(新王国の首都でした)でテロがあった国。とか色々印象があると思います。実際に今回は学会出席で3つ講演(脳動脈瘤、ロボットと血管合併症の話)をさせていただいたのですが、少し時間的余裕をもらってピラミッドと市内をめぐる数時間のツアーを自前で調達しました。学会で準備したツアーもあったのですが、往々にしてこのような外国の先生方ツアーは自分勝手な人が多くて、結局何も見れないということも多いので、お断りしました。後で聞いたらまさしくその通りで、奥様方が買い物に熱中しエジプト博物館をみる時間がなくなり外から見ただけだそうです。さてカイロ市中見学ですが、 ギザのピラミッドとスフィンクスはすごい迫力でした。2-3トンの大きな石を300万個積み重ねているそうです。ほぼ中央にある王の間にも登って入ってみました。この巨大な石の積み重ねの中にあのような空間を作る技術はすごいと思いました。またツタンカーメン王墓からの出土品その他を集めたエジプト博物館はそれ以外の名品(有名なロゼッタストーンとか)も含めてすばらしい内容でした。有名なツタンカーメンのマスクも惹きつけられるのですが、それにも増してそれを被ったミイラが収められていた黄金の棺、その棺を入れるひとまわり大きな黄金の棺。足元にも金のレリーフで翼をつけた女神が描かれており(死後の世界を導くため)、魅入ってしまいました。ご存知の方も多いと思いますが、エジプトの殆どの王墓は盗掘され副葬品が残っていたものはほとんどないのですが、ツタンカーメン王墓は王家の谷のやや外れたところにあったため、全く手付かずで見つかったそうです。その墓の副葬品だけで、エジプトが成り立っていると言っていいくらいの価値があると言っていました。もし他の王墓がそのままであればどれくらいの富と財宝がこの国の紀元前数千年の歴史に蓄積されたのでしょうか?日本が縄文時代の頃の話です。

さて主題はそこではありません。ギザやその他の街を車で行ったり、ホテル付近をWalkingしていると、町中がゴミだらけです。道には全くと言っていいほど信号はなく、道路も3車線なのか4車線なのかわからない。車が自由?に横へ行ったり追い抜いたりしています。人は猛スピードで変則的な車が走る道の間を思い切って(現地の人に言わせると楽しんで横切るそうで、そんなに事故はないそうです)横断します。一度レストランに行くために道路を横断したのですが、命がけでした!またその脇にはロバでニンニクや青菜をどっさり積んだ荷車を引いている人もいます。また車から眺めていると、可愛い女の子が飲んでいたペットボトルをそのまま道に投げ捨てました。ですので、道路脇やナイル川、その支流はゴミだらけです。廃墟のような建物もところどころにあります。ホテルの中はすごいセキュリティーで安全で過ごしやすいのですが、一歩外にでると埃っぽくゴミっぽく、風も砂漠から吹いてくる風で目に砂が入ります。またホテルは一切アルコールのないホテルで、今の節制中は良いのですが、カラカラした喉をビールで潤せたらと願うことしきりでした。

さてその中で感じたのは、「この国は伸びしろがたくさんある」ということです。多分優れた政治家が出てきたら、すごい改革ができそうですし、社会のインフラもものすごく改善することができるでしょう。そのための資金とかはいろいろ考えないといけないと思いますが、やれることがたくさんあるということです。今エジプト博物館は新しい巨大なものを日本の援助で、たくさんの日本の建築家が関与して作っています。そのような象徴的なものだけではなく、川の掃除をしてあげたらどうかと思います。社会については日本の40~50年前、私が子供の頃に近い印象です。脳神経外科については、今は多分日本の10いや20~30年くらい前の程度なのかもしれませんが、中国がそうであったようにエジプト始めアフリカの脳外科もかなりのスピードで進歩しています。そのために多くの外国人を呼んで知識を吸収しています。

日本はどうでしょうか?政治のことはよくわかりませんが、どうでも良い議論が国会でされているのは、もう日本には画期的に改善する(べき)ことがないからではないでしょうか?もう伸びしろがないということです。これ以上安全で、これ以上きちっとした国はないでしょう。一方で身障者の対策や地方での様々な利便の遅れはなんとかしないといけません。脳神経外科では新しいことは血管内と内視鏡、海外から輸入された技術(NOVO-TTFとか)の押し売りの片棒をかつぐような医療ばかりで、日本からの画期的医療がないのが現状です。

なんとか打開策はないのか?なんとか我々のこのSaturate(飽和)した脳神経外科や国に活気を取り戻すすべはないのか、つらつらと考えさせられる日々でした。目の前のことをきっちり一生懸命やるのも大事。一方で、目を外に向けて日本の置かれた立場を自覚して、外に出るなり、援助するなり、教えるなり、より安全な医療のあり方を本気で検討するなりをしてゆかないといけないと思います。個人的にはもう17年も研究しているrobotとか画像技術を生かした、より安全を目指す医療システムとかを構築したいと思います。

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