2018. 10. 01
和歌山にて
和歌山にて
森田明夫
金木犀の香りがすがすがしい秋となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょう。
9月は翌月に学会や科研費の締め切りを控えて、なかなか忙しい日々を送っております。病棟は様々な救急で大忙しです。先日はMyxomaによる小脳梗塞が入院し減圧の2日後に開心術(当然ヘパリンをたっぷり使う)をするというヒヤヒヤする事例がありました。なんとか病棟の先生の努力でリハビリへ向かっています
本日は先日脳腫瘍の外科学会が開催された和歌山について、あれこれ。
和歌山には初めて立ったという先生も多かったようで、こういった意味で地方都市での学会は良いものです。ちなみに私は2~4度目でした。小5の頃、那智勝浦に行った記憶がありますが、詳細不明です。
さて和歌山と聞いて皆様は何を思い浮かべるでしょうか?梅干しと温州みかん、智弁和歌山でしょうか?私も同様なものですが、ついでに高野山や熊野古道も浮かびます。和歌山県の健康問題はいわゆる「梅干し高血圧」で、以前和歌山県立医大の教授だった板倉先生が、それを改善するために県では梅干し1個運動というのをしたそうです。(すなわちその頃県民は1日数個食べていたようです)
では和歌山はなぜ和歌山と呼ぶのでしょうか?
先日自宅の近くにある六義園を散歩していると、六義園の成り立ちが詳しく説明してあり、「六義園と和歌山」というタイトルでした。六義園は和歌山にある和歌浦という日本随一と言われた景勝地をモデルに造園されたそうで、六義園にある藤代峠など、和歌浦を見下ろす藤白坂から取られているとのことです。ではその和歌浦とは何か?なぜ和歌山という地名なのか?和歌浦はその昔若の浦と言われる景勝地で、聖武天皇の行幸に付き添っていた山部赤人が万葉集に
若浦爾 鹽滿來者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
(若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る)
と読んだとされ、それ以降この地は和歌浦と呼ばれるようになったそうです。熊野詣での際に都の公家は多くこの地で保養されていたそうです。
羽柴秀次が当時「岡山」と言われた現地に築城した際に、秀吉が、和歌浦にちなんで和歌山城と名付けたそうです。ようは和歌山の地名は秀吉がつけたとのことです。
ご存知のように和歌山は紀伊、阿波の間の紀伊水道を臨む要衝であり、京都・大阪の守りには重要な位置にあったので、最終的にはこの地に徳川御三家のうち紀伊徳川家が置かれたことは、徳川吉宗や慶福(のちの家茂)など8代、14代徳川将軍を出したことは大河ファンであればどなたもご存知かと思います。ちなみに御三家でもっとも大きかった尾張は将軍を出しておりません。ただそれゆえに幕末のゴタゴタにあまり巻き込まれず政府軍の先鋒も務めており、徳川美術館は名古屋にあり、それが徳川の文化を今に伝えているのも事実です。ちなみに水戸はというと、最後に作られた御三家で将軍候補は出さず(徳川慶喜は最後に出ていますが)将軍のサポートを任ぜられていたようです。いわゆる天下の副将軍 水戸光圀です。ホテルニューオータニの近くに紀尾井坂というのがありますが、紀伊、尾張、井伊の屋敷があったところで、徳川からもっとも大事にされていた国々で、そこにも入っていないのが水戸の屈辱だったそうで、井伊直弼を殺害したのは水戸の脱藩浪士がほとんどだったのはそれもあるらしいです。
さて今の和歌山はというと、大阪から近いとはいってもJRの特急くろしおは1時間に1本しかなく、1時間以上を要するのでなかなか不便です。高野山に行こうと思っても電車であれば大阪方面に戻らないといけません。
和歌浦はというと、今は昔の景勝地の面影はなく、大都市に近い海岸ということで海水浴場向けに改造されてしまい、一時はものすごい観光ブームだったそうです。私の時々お邪魔している福山の割烹のご主人はこの地の宿で盛んだった頃修行をしていたとのことです。ものすごい人だったそうです。でも今は、温泉もなく景勝地でもなくなったので観光は白浜に奪われ、ほとんどの宿が廃業に追い込まれ、火事で人がなくなったなどの事件もあり、廃墟が肝試しの場所や、テレビのオカルト番組で取材に使われたりとかで、散々の状況になってしまっているとのことです。和歌山から30分くらいの至近にあるのに、本当に残念です。和歌山は冬はクエが美味しいんですが、、、
さて和歌山出身の著名人の1人に松下幸之助さんがいます。和歌浦に向かう道路の片隅に小さい松下体育館という寄贈の建物があるそうです。でも松下さんは和歌山の頃は貧しくてあまり良い思い出がないのでその建物くらいしか寄付していないということだそうです。
また先出の割烹店主の話では和歌山のタクシーは要注意とのこと。市内の区画が城下町仕様で道がまっすぐ通っていないので、通る道でかなり距離が異なり、メーター1~2区間分は平気に増えてしまうそうです。ちゃんと「距離最短で行ってください」と頼むのが良いのでしょうか?
なかなか渋いエピソードしかありませんが、和歌山そのものはゆったりした街で、城下町の静かな、海のものが美味しいところです。今回は残念ながら長居はできず、和歌山名物はラーメン(豚骨醤油)と早すし(鯖の柿の葉ずしのビニール包版 ラーメンと一緒に食べるのが和歌山文化。これは美味しいです)だけ食べました。やはり塩分は超濃いです。血圧要注意です。
今回の脳腫瘍の外科学会も内容が素晴らしいもので、最新の遺伝学的な知見や、中尾会長の専門でもある内視鏡を用いた頭蓋底手術の展望などのセッションがあり、大いに寺本先生門下の先生たちが発表されておりました。前頭蓋底や斜台などの腫瘍は当たり前に経鼻で治療されるようになるかもしれません。
課題は髄液瘻がないように硬膜を閉鎖する技術と、血管障害を避けることです。最近髄膜腫の再発でも経鼻で内頸動脈周囲の癒着を剥離することも多くされていて、ビデオを見ていてヒヤヒヤします。一度出血したらどうするのかと質問しましたら、「幸いこれまでないので」 という返事でした。返答になっていません。頸動脈の血流評価(BTO)とか、確保やバイパスの準備をしっかりして、行うべきかと思います。
今回は「和歌山あれこれ」 でした。
皆さんも地方に行ったらその地の成り立ち、歴史や文化、食をしらべて見ましょう。あーーと話が繋がることがあります。ちなみに今回は私にとっては六義園—和歌山の学会—翌日に行った福山の店主が和歌浦で修行した、また現在の西郷どん の話などなどつながる事象が色々ありました。
六義園と和歌浦