学校法人日本医科大学
日本医科大学 脳神経外科学教室 Nippon Medical School Department of Neurological Surgery
前部長のつぶやき

時間

森田明夫

先月AIのことを書いた。AIやコンピューターは人間が行う1年分かかることを ほんの一瞬でしてしまう。そのような時代に人間の時間のリズムはどう変わってゆくのだろうか?つくづく時間というものの不思議さと価値を考えている。

人や自然界の生物は地球の自転の速度(すなわち1日という時間単位)と太陽を一周する速度(1年という時間単位)で全ての生活環境やリズムを制御している。人の体の成長や理解の速度、記憶の容量もそのような時間に制御されながら進んでいる。これは決して変えることができないはずである。

一部例外はあるかもしれないが、立って歩くまでの筋肉とバランスができるのにはどうしても1年くらいの乳児期が必要だろうし、4歳で5か国語を喋れ、数学に長けた子供がいるとは聞いたことがない。

人生50年だった頃、または戦時中の20歳以降のことを考えられなかった時代の人の精神的な発達のスピードはどのようなものであったのだろうか?

子供を産む時期などはむしろ昔よりも遅くなっており、少子化の危機が近づいているくらいである。

「石の上にも3年」という言葉あるが、何か一定の場所や職場、学校で人間関係が落ち着くのは3年はかかるという意味なのかと思う。学校制度が6-3-3になっているのはそのような意味を持っているのかもしれない。

私はどちらかというと中高一貫にいたので、全ての単位が「6年」で出来ている小学校、中高、大学、専門医訓練などである。ややゆっくり派である。

友人を作ったり、人のことをよく知るためには3年以上はかかるというのはいつも感じていることである。

以前本コラムに専門訓練の10,000時間ルールというのがあるを書いたことがある。

3で割るとい3,300時間 350日で割るとちょうど一日10時間くらいとなる。

こんなことを書くと労働基準局から睨まれるかもしれないが、1日10時間の努力があれば3年間、5時間であれば6年間、2.5時間であれば大体12年間で訓練は完成する。脳動脈瘤やバイパス、脳腫瘍の手術を全く問題なくエキスパートの感覚でできるようになるためにはこれくらいの没頭した時間が必要になるということである。これを短縮することは個人的には出来ない。

一方でロボットやAI、コンピュータの発展はそれを画期的に変える可能性はありうる。例えばナビなどなかった時期は血管撮影やCT画像などを自分の頭で融合してアプローチを考えていたのでかなり時間をかけていた。今は効率的に治療の検討ができるようになった。しかし、実際自分の身になっているのはどちらかというと非効率的に検討した方なのではないかとも思う。

人の感情はどうだろうか?会って話をする。手紙を書く。電話をする。メールをする。どれが最も人の心に伝わるだろうか?メールは一方通行である。決して気持ちを伝える道具ではない。現在Social Networkで様々な出来事や、記事 そして感情などが伝搬される。中には信じてはならないNewsもあるという。

様々な交通や移動は便利になり、情報通信は極めて迅速になった。待ち合わせなどとても楽になった。

AIなどを拒否せず、使えるものは使い、できれば開発に携わり、その利点・欠点を十分理解しつつ 使われるよりは使う方の人間になりたいものである。

医療という現場に足場をおく以上、相手は患者であり、社会である。彼らがしっかり受け入れられるように、迅速なスピードでの検査・判断をして、じっくりと時間をかけて話をし、考える時間を持つ。治療する場合には、無駄な手術時間を極力減らしても、しっかりと自分の手で治療を行えるように努力することが重要なのかと思う。

人間の覚えるスピード、感情の調整にかかる時間など、殆ど弥生、縄文時代から変わっていないことを十分理解、納得して、患者の対応をし、かつ自分を成長させていかねばならない。

新幹線や飛行機から見える景色の移りかわりも好きだが、ゆっくりしたローカル線からの眺めも、歩いていかないといけない山奥の神社の気も大事である。

どんなにこれから時代が変わり、機械による情報処理の時間の観点が変わろうと、人間の時間単位は変わらないし、知識を増やし技術をつけるためにはしっかり努力をしてゆかないといけないと思うこの頃である。

7月の富士山は溶岩むき出しで赤い

山形の湯殿山は神秘的

来月発売されるオリンパスのExoscope:便利。

千駄木新病棟ほぼ完成

instagram
facebook
yutube