学校法人日本医科大学
日本医科大学 脳神経外科学教室 Nippon Medical School Department of Neurological Surgery
前部長のつぶやき

「みる」 ということ

森田明夫

「みる」 とコンピューターに入力すると、頻度によって異なるが、「見る」 「観る」 「診る」 「看る」などと漢字が出てくる。

だいたいうまく使い分けするわけであるが、特に我々がよく使う最初の3つについて考え調べてみた。それぞれに意味深いので、日頃の我々の日常臨床にも関与することなので、皆さんにも共有したい。

見る とは普通に見ることである。どこまで一生懸命見るか?情報を得るか?は多分その時の集中力や興味、目的意識などによるのだろう。ニュアンス的にはパッと見てわかる、「百聞は一見にしかず」などという言葉あるように、比較的簡単に理解できる視覚的情報のことかと思う。最近学会の報告で(東大の中冨君などが発表しているが) 「……の見える化」などいう演題を目にする。内容は色々なモニタリングや画像情報の統合などをして、比較的簡単に事象が理解できることを指しているようである。そこまで作れば誰でもわかりますよ。。的なニュアンスかもしれない。しかしちょっと私は違和感がある。3次元融合画像も良いが、実際には元画像、FIESTAの2次元画像を自分の頭の中で他の血管撮影などとも融合して3次元に再構築できないといけないのだと思う。それが脳神経外科のトレーニングなのではないかと思う。現在このような画像を作るのに時間がかかるので、AIで作る試みがされているようであるが、ますます人間は考えなくなり、あまり良い動向ではないように思う。もっとアナログ、もっと基本から、自分の中で様々なことを想像する力を磨いて欲しい。そのために必要とおも思われるのが、最大限に注意して、集中して見る 2番目の頻度で出てくる「観る」である。

「観る」は「観察」だと思われるがそれだけではない。観の語源をみてみると(https://okjiten.jp/kanji643.html) 左の部首は目の周りの赤いこうのとりの象形だそうです。右は人の上に目で文字通り見ること、鳥のように真っ赤に目を見開いて見ること を「観」とするそうです。意味としては「よく見る」「注意して見る」「細かく見る」が最初に出てくる意味で、その他「見渡す」「見物」などの意味、そして見方や意識みたいな意味まで出てくる 人生観とか主観などの言葉では「奥深く自分の心の中を観る」こと意味してくる。これが単なる見るではないことがわかると思う。

ぜひMRIや血管撮影、手術中の観察など、「見」るではなく「観」て欲しいと思う。2次元のレントゲンの画像を見て、この線は?点は?何を意味するのか?この腫瘤内のDensityの違いは何か?境界はどうなっているのか?他の解剖構造に対してどの位置にどのように変形してあるのか?動脈瘤であれば、血流や壁は、母血管との関係、branchとの関係はどうなっているのかなど想像して見るのも悪くない。それと実際のものを観れる脳外科の強み!それを繰り返せば、物を観る力がついてくるだろう。脳神経外科にしかできない

さて患者さんに関しても「観る」は使うべきである。よく患者さんの歩き方や顔色、舌の乾き具合、肌(皮膚)の張り 汗など異変を見逃さないようにすべきである。もう一つ患者さんについて重要な「みる」は「診る」である。

「診」の語源は、左の部首が刃物の下の口「謹んで言うこと」と 右はかんざしをつけた女性の下に豊かで艶やかな髪のこと(密度が高いこと)だそうです。(https://okjiten.jp/kanji1933.html) そのような言葉から「病人の症状をよく診る」こととなったとのことです。

先日遠隔地の病院で外来でみさせていただいていたコイル後拡大傾向にある脳動脈瘤をもつ患者さんがその病院に入院されていた。疲れて気分が落ち込んでどうにもならず、歩くのも億劫になってしまったとのことである。私は月に1度か時に2ヶ月に一度だったので、なかなか患者さんの全体を把握するのが難しかった。以前本稿でも紹介した私の恩師の先生が見てくださり、まず薬を減らし、リハビリをさせて少し元気になられていた。前回私は彼女のMRIで白質脳症がかなり進行してきているので、ロトリガを処方してきたのだが、それを飲んだらますます具合が悪くなってしまったそうである。話を40−50分伺ってみた。彼女は食べ物でだめなものが多くさばとかの青魚、肉、冷たい野菜などだめだそうで(アレルギーではないが、体調が悪くなると)、低タンパク食でないと具合が悪くなっていたのだそうである。青魚だめではやはりロトリガはいけなかったと思う。よく話を聞くと彼女が色々なことに悩み、苦労してきたことがわかる。長期間療養中であったご主人を亡くしてちょうど1年が経っていたところである。ご主人の決断力や心のあり方、自分の気持ちなどじっくり伺った。私は「診ていなかったな」 と実感した時である。知らないことが多すぎた。

脳外科は人の人生を左右する診療科である。その中で、通りいっぺんではない、しっかりと患者さんの人生を理解して診療に当たる 「診かた」をしたいものである。

「看る」は それだけでたくさんの書面を要するので、ここでは省略する。基本https://okjiten.jp/kanji1027.html を参照してみて欲しい。手をかざして見る(診る)ことである。診ると看るをあわせ持つことが望ましい診療医の力かと思う。

5月の富士山 その後「診る」の意味をしる。

Death valley どこまでの続く荒野の道時々目をみはる壮大な光景、まるで脳外科のよう。

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