学校法人日本医科大学
日本医科大学 脳神経外科学教室 Nippon Medical School Department of Neurological Surgery
前部長のつぶやき

するか? しないか?(2017年3月)

最近の若者は「どうもhungryさがない。」というは、よく聞かれる嘆きである。私自身 そんなにHungryにガツガツやってきたわけではない。Mayoでもよく「何ボーーーっと突っ立ているんだ!」とPatric Kelly教授(のちにNew York UniversityのChairmanになった)にどやされたことがある。実は私はまだその頃は英語も理解は半分以下で、何を次にしたら良いかの判断がつかなかったというのが事実である。後には少しテキパキ動けるようになったので、論文も書かせていただいたし、その後Mayoの後、NYUのスタッフでこないかと誘われたこともある。どうもNYといういう街が好きになれず、話は実現しなかったが。

要はわかっていないからしなかったわけである。

だから今の若人たちにHungryさがないのは、わかっていないのではないか?何が起こっているのか?何をしたら良いのか?知らないということなのか?

と考えてしまう。それではあまりにも知識や技術がないということになるので、私の取越し苦労であることを祈る。もし知らないのであれば、学んで欲しい。今の世の中、知識の取得は非常に簡便である。小賢しいと思われるくらい知識をひけらかすくらいの意気込みが欲しい。

一方であまりに慎重すぎ何かするよりしないほうが安全と思っているのかもしれない。そういった面で最近の若手の受動的態度には、やや呆れることも少なくはない。するか?しないか? 橋を渡るか?渡らないか? という決断は、医療でも手術でも人生でもあらゆるところにやってくると思う。

私としばらく一緒にいる人は私の決断方法は知っていると思う。

「迷ったらGO」である。何もしないで失う「損」よりも、何かをして得られた「得」の方が多いように思うからである。当然進む場合には、それ相応の準備もしているつもりである。それが裏目に出たことも何度かは当然あるが、自分の生きてきた道で、それは笑い話だったり、苦い思い出となっている。むしろ今の自分の重要なところを形作っている糧のようなものになっていると思う。以前失敗のことを書いたと思うが、無謀でない行為の失敗は、非常に貴重な財産となるのだと思う。そして次の成功につなげる道になるだろう。

迷ったら熟慮して、配慮して、進んで欲しい。そのような前に進む才能を身につけて欲しいと思う。

風邪を押して芦の湖 駒ケ岳登りました。綺麗な富士山を見れました。

February Stakesでは大枚かけましたがやはり大損しました!

instagram
facebook
yutube