学校法人日本医科大学
日本医科大学 脳神経外科学教室 Nippon Medical School Department of Neurological Surgery
前部長のつぶやき

Virtualとデジタル(2017年2月)

Virtualという英語の意味を引くと「現実の」とかいう意味が出てくる。現在はそれを過大解釈して、より現実に近い仮想のものという意味合いに使っていることが多い。元々は現実を補完する意味あいで使われていた感がある。現在よく学会の演題でもバーチャルシミュレーションを用いた手術計画とかいう演題がよく出てくる。「クラインの壷」という岡嶋二人の小説を読まれたことはあるだろうか?ある仮想現実を体感させる機械の中に入ると、別世界が広がっていて、最後はどちらで生活しているのかわからなくなってくるといった内容の小説だったと思う。Pokemon GOは皆さん経験されただろうか?スマートフォンを通して見るとまるで道端にポケモンがいるようなAR(Augmented realty)機能がついている。それを一匹一匹モンスターボールなどを用いて捕らえて行くわけであるが、ポケモンの出る場所は病院内でも根津神社内でもホテル内でも色々である。少しハマるとまるで自分が本当にポケモンのいる世界にいるような気がしてくるのは自分だけだろうか?

さて一方デジタルとは「数字の」という意味であるが、現在は「データ化されている」といった意味に使われることが多い。昔胸部写真や頭部単純撮影、脳血管撮影などは銀フィルムを用いた写真、いわゆるアナログな情報であった(ただし本当は銀粒子の単位があるので、本当の意味でのアナログではないのであるが)。それがCTやMRI、デジタルANGIOの出現によって全て数字単位 256X256とかの限られたデータ量で表現されるようになった。その技術がでた頃はそのデータ量の不十分さからCTは点・点と言われていたし、アナログな銀フィルムでの画像の有用性を説いた発表なども多かったものである。しかしコンピューターの処理能力の進歩によってデジタル情報の量は人間が目では追えないくらい細かい粒子単位となり、アナログを完全に凌駕する状況にもなりつつある。

先日近畿の脳血管内治療研究会での話題では、PhilipsのAngio装置で見える脳底動脈の穿通枝は他の会社の機械では見えないということを話あっていた。その機器があるかないかで治療できるかできないかも決まるという。アナログの時代には考えられないDiscussionであった。

デジタル情報はすなわちコンピューターでそのまま扱うことができ、いわゆる演算が可能である。画像要素を演算し、modifyでき、強調でき、そして近い将来自動診断ソフトが出てくるであろう。

現在のVirtualの技術を支えているのがデジタルであり、両者は切っても切れないものである。これらの技術や観念は、これからの医療の世界に、発展になくてはならないものであり、積極的に使いこなし、活用できるようにしておく必要がある。当科の客員教授をお願いしている渡辺英寿先生はこの道のプロであり、ARを用いた新しいnavigation systemなどを構築されている。教育の世界でもEdTechと言って様々なvirtual reality技術を用いて3次元の画像情報を生かす教材やシステムが注目されている。デジタル技術を使いこなす、応用する能力を培わねばならない。

しかし一方で先日日本医大での医療安全の講習にもあった内容であるが、デジタルや数値化された情報だけ、virtualな情報だけに頼ってしまうと、肝心の目の前の患者の、例えば血液型の確認ができていなかったり、右、左を間違えていたり、最悪は患者取り違えさえ起こりうる。Virtualな情報の代表であるナビゲーションの情報は、通常の写真と右左が入れ替わっている。そのような基本的な事項も知らずに機器を使うと、例えば患者さんが腹臥位だったりすれば、非常に間違いやすい状況に陥る。ナビゲーションを頼ることも重要だが、基本を知って、使いこなすことが、もっと重要である。また最悪使えなくても手術ができ、アナログなプランBをいつでも実施可能にしておく準備(画像からどの構造からどれくらいの距離に腫瘍があるものか、脳表のGyrusの形から位置を見極めたり)が必要である。

私たちの対象は生きた患者であり、私たちは手を持って手術を行う。デジタル情報やvirtual simulationはあくまで私たちの判断の補助であり、自分の目で見える生の情報、自分の手で感じる触覚、硬さ、それらを把握し、デジタルの情報の上に上書きできる能力を身につけないといけない。手の感覚を研ぎ澄まし、目力を養っておかねばならない。そのためには、多くの手術に入り、多くの患者さんを診て、手で触り、目で診て、そして第六感までの磨いておく必要がある。そのようなアナログな力を自分の中に備え、デジタル、バーチャルを凌ぐ力をつけておかないと、近い将来コンピューターに指令される羽目になるだろう。

先日テリー伊藤がテレビの番組で、テレビや映画の映像の世界の発展について、アニメ映画とか、virtual simulationを用いたり、3D画像を用いた映像が非常に注目される中、「何かすごいアナログなプロジェクトが進んで欲しい。」といった内容のことを言っていた。同感である。

バスや電車の中でも、今や新聞や小説を読んだり外を見たり、人の様子を見たりしている人は非常に少なく、ほとんどが今はスマートフォンを覗き込んでいる時代である。ふと顔を上げてみると、人や景色、こんなところにこんな店があったのかと気づく。デジタル情報に埋まることなく、ぜひ使いこなし現実社会で人の役に立てる医師になることを目指して欲しい。

一昨年主催させていただいた術中画像情報学会のテーマは 「アナログとデジタルの融合」であった。ちなみ35年少々前の筆者の医師1年目の関東地方会の最初の演題名は「デジタルアンギオグラフィーの有用性」であった。

デジタルは使うもの。使われるものでは無いことを肝に銘じて、ぜひみなさんにはアナログな力を蓄えて欲しいを思う今日この頃です。

競馬場でのポケモン

パルプ都市富士市を通過中の富士山

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