2016. 02. 01
まわり道
まわり道
森田明夫
今回のタイトルと同名の千宗室さんの随筆が東海道新幹線の冊子「ひととき」に掲載されている。その落ち着いた文章と京都の今昔の風情が紹介されていて機会があれば読んでいる。
たぶんそれにあったと思うのだが(やや記憶があいまい。他の人の随筆だったかもしれません)、京都では目的なくガイドブックなど持たずに街を歩いて欲しいという記載があった。所々で出会う街並に様々な特徴や風情があり、それを楽しんで欲しいというものだった。目的をもちガイドブックをもって歩くと、途中はただの通過点であり、気にとめることなく通り過ぎてしまう。途中に面白いものがあっても気づかないという訳である。もしどこかに行くあてがあったとしても、ガイドなしで、むしろまわり道して、到達する方が楽しいという訳である。
人としてどう生きるか?医師としての人生や、脳神経外科医としての専門性や科学性、手術技術や知識の付け方も同じようなことが言えるのではないかと思う。
今、メールやInternetの普及によって、ものすごく早いスピードで情報を処理し伝達し、探すことができる時代になっている。でもボタン一つでpdfダウンロードできる文献も、図書館で書棚から古い束にした雑誌を探してコピー機でコピーして大切に扱っていた時代が大切に思う。その時には当然その束になっている雑誌の他の論文も目にするわけだから、他に興味のある論文もいっしょにコピーすることになるし、その当時こんな医療があったのだとか、こんなことを論じていたんだと、医学の歴史に触れることもできる。虫の食ったような古い本がいまでも好きである。
人と人との関わりも同様なのかなと思う。メール、ソーシャルネットワークでいくら簡単に1対1、1対複数のコミュニケーションができても、やはり本来は電話や、手紙、直接会って話をするのとは訳が違う。後者を面倒くさいと思うようになってしまえば、本気で助けてくれる友や師はできないのだと思う。
いくら情報スピードが上がっても、人をある程度理解するには最低3ヶ月密なコミュニケーションが必要だし、多分信頼を得るには1年〜3年は必要なのだと思う。この人間の心の関係の形成スピードは人が一日24時間、一年365日という地球で生まれた以上、それ以上の早回しは難しいのだと思う。
私もやっと日本医大で3年たったところである。自分でいうのも変だが、少しは私をわかってもらえているかと思う。ただ直接毎日一緒に働いているわけではないので、まだまだ本当の意味では時間がかかると思っている。
自分は中学生から脳神経外科医をめざしまっしぐらにここまで進んできたと思われるかも知れないけれど、実は途中にはいろいろな悩みや挫折もあった。特に米国では一度自尊心や自信をすべて灰燼に帰すほど粉々に打ち砕かれた。人種差別としか思えない扱いもうけたこともたくさんあった。ただ、今はその時の経験やつらかった道、耐えていた自分が非常に貴重な経験だったとわかる。形成外科をインターンとして回って、一緒に手術に入ってこう引きをさせられたわけだが、その切開の方法は目に焼き付いているし、血管外科でぼろぼろの大動脈をRepairする手術など、それまでみたことのない手技だった。手術の経験や感も、様々な壁にぶつかりながら乗り越えてきたように思う。
迷うこと、まわり道 どんどんしてください。2つの選択があったら、ぜひ大変そうな方を選んでください。最終的に目的地につかなくても良いじゃないですか。その過程が大事なのだと思います。大切なのは根底に流れる信念というか夢というか、筋かなと思います。
ぜひ苦労を楽しんでください。
SienaからRomaへの途中で立ちよったMotepulcianoのエノテカレストランにて (全くガイドブックなしに立ち寄ったレストランでのPici(太麺パスタ)とワインの美味しいこと!)