2020. 04. 01
「夢」と「志」
以前から「夢を持とう」といった文書も書いたと思う。
さて先日とある大きな会社の名誉会長を会食をしていたら、こんなことを言われました。
「夢」なんてものは、持ってもね、叶わなくても良いと思ってしまうんですよね。持つのなら「志」かな。戦後の混乱期から続く赤字で苦しむ国家企業を立て直した本人の言葉は重い。
いつもはね、目の前のこと、そして日ごと起こることに、一生懸命対峙して、できる限りのことをする。明日に備えてね。その一方では遠くの方に「志」を置いておくようなかんじかな と。日毎の活動を、ある一定の目的(目標)を人生のターゲットとすると、そのために日々の活動、意識が集中し、実質的な積み重ねがない人生になってしまうと言う。例として、とある別の大商社の幹部の人たちと飲みに行くと、必ず、次はあいつを追い落としてやろうとか、あのグループを潰してやろうと言う、ドロドロした人の追い落としの話が中心となるそうである。本当にそんな役職だけが目標となるような人生でなくて良かった。ともおっしゃっていた。
自分がどうなるだろう?どんな人になろう? とか想像もつかなかった。ただ志を持ち(社会的な)、日々を努力していたら、今のようになったんです。
私自身はなーにも準備せずに、何ももたずに旅に出たこともあった。今にして思うと、何かを目的に、ガイドブックで調べまくり、写真も予め見て、そして同じ写真を撮りまくった旅行よりもそんな旅行の方が、印象に残っているし、新たな出会いがあった。
さてこの4月!新年度を迎えるにあたり、学生も社会人も始まりがないような年度になってしまった。このウイルスの騒ぎはいつまで続くのか?学会もオリンピックも全て延期、中止となり、この週末は外出禁止令(要請とは言われるが)である。今まで経験したことも見たこともない世界になりつつある。
こんなときこそ、慌てず、平常心で、周囲の世界は自分でどうすることもできないわけだから、普段からしていることを当たり前にして、また余った時間は普段できなかったことや溜まった仕事を片付ける好機である。
このような世情と時代に、「明日(未来)が見えない」と悩んでしまっている人もいるかもしれない。
誰にも明日は見えない。先の会長がおっしゃっていたのも、誰も1年先や、遠い将来のことなんかわからない。まずは目の前のことを、これ以上はできないと言う限界まで一生懸命やること。日々何が起こるかわからない、それに真摯に対峙する。その積み重ねが道になるのだ。とおっしゃっていました。
夢でも志でも良いと思います。目の前のポジションとか、収入とか、安定とかではなく、例えば医師になろうとした時の想い とか、自分が医師として何をしたいのか などを、高い「志」として持って、いつかはその頂上に届くように、日々努力すること。迷いはあっても、行った先に何があっても、より良い明日が来るように頑張る。
そうして1年、そして2年、10年と努力して過ごして行けば、新しいところにたどり着いているのではないかと思います。
といいつつですが、我々普通の人間は目標は必要で、短期的な目標と達成度は検討し、ある程度は計画立てましょうね。まだ私と今年の面談済ませていない人は、近視的と遠隔な「目標」を書いて予定入れてください。
今年度1年も頑張っていきましょう。
今年(3月の外出禁止令の出る前)の桜です。